偽善という言葉の対象が狭くなった……気がする。自分の存在について考える照れが薄れた……気がする。そんな気がする、程度だ。熱に浮かされた空気はもう、ない。

 傷口を覆っていたふやけた絆創膏は、治る気配のない裂傷を残したまま、剥がれてしまった。

 

 

「見て見て夏希、昨日の夕方、地震雲が全国各地で見られた、って」

 私が教室の自分の席に着くなり、友人の夏海は、携帯電話をこちらへ突き出した。画面にはとあるウェブサイト。

 また自分で不安の種を見つけてきやがって、と内心で毒づきつつ目を遣った。似たような雲に見覚えがある。

「私も似たようなの、撮ったかも」

「本当?」

 私は机の上に置いていた携帯電話を手に取り、ひとつの画像を呼び出した。

「これ」

 夏海は、私の見せている画像と、先程の画像を見比べ、

「似てる! やっぱり今日、大きい地震が」

 ため息をつく。

「私が撮った写真の日付、二年以上も前なんだけど」

「う……でもでも、災害が起こる日を当ててきたとかいう人がさ、すごい地震が起こる夢を見たとか書いてるし!」

「何回騙されれば気が済むの、夏海は。それで」

 余計な不安を抱え込むんだから世話ないよね、と言いかけ、口を噤んだ。途端に、激しい自己嫌悪が渦巻いた。

 夏海は一時期よりは、回復した。もう新しい傷口は増えていないはず。でも、いつかまたあの発作が起こるかもしれない、そんな不安を抱えてもいる。いつ来るか分からない発作への不安と、いつ来るか分からない災害への不安とを、重ね合わせているんだろう。

 分かっているのに。あの時、夏海の支えになりたいと、自分の中での決意は固まったはずなのに。

 一年近くが経って、夏海には一生付き合っていかなければならない傷跡があるということへの意識が、薄れつつある。軽蔑混じりの言葉を吐いてしまいそうになる。

 私は、不自然に空いた間を、不自然な咳払いで誤魔化した。

「それで、デマをいちいち真に受けた夏海が参るのを見るなんて……私は、嫌。起こる可能性はゼロじゃないけど、考え過ぎたら、夏海が先に潰れちゃう」

 最後まで言い切ると、私が黙っている間もずっとこちらを見つめ続けていた夏海は、

「そっか……うん。そうだよね」

 苦笑いになった。

「ありがとう。いつも、気にかけてくれて」

 夏海が自分の席に戻ってから、私は小さく、口元を緩めた。

 チャイムが鳴った。

 誰もが傷跡を曝したまま、また新しい一日が、始まる。