獣と呼ばれた王女

(全2話)

 

 群臣たちの目がおかしい。わたしは何か、してはいけないことをしたのだろうか。

 この国の国是《こくぜ》は、力こそすべて、ではないのか。だからこそあのような悪趣味な国旗を――槍に貫かれている人体をかたどった絵を、掲げているのではないのか。わたしは、その国旗を背負うものだ。先ごろ亡くなった父も、わたしを後継に指名していた。

 青い太陽の文様が繰り返し描かれたじゅうたんを汚しながら、呻き、這い進もうとする弟を眺める。もう致命傷は与えた。わざわざ二撃目を与えるまでもないと思ったけれど、早くとどめを刺してやれということか。その後頭部を槍で突いてから、また、顔を上げる。

 なぜ。

 なぜ、弟を殺したくらいのことで、そんな目を向けるのだろう。

 

 

 

   ◆

 

 

 日当たりのよさを第一に考えて配された庭は、いつでも木花と光に満ち溢れている。咲き乱れる赤や紫や青や白の花々、赤い楕円形の実をつけた木々を、窓ガラス越しにぼんやり眺めていると、背の高い立木の陰で何かが動いた。何か声も聞こえる。

 何の代わり映えもしない施政下の町村の報告を続けていたイレミナの言葉を手で制す。彼女の言葉が消えると、

「姉上!」

 と遠い声が聞こえた。イレミナのほうへ視線をやると、

「残りはのちほど」

 彼女は櫛入れのゆきとどいた茶髪を揺らして折り目正しく礼をし、書類を小脇に抱えて待機の姿勢に入った。

 ガラス戸を押し開け、ぜいたく好みの父を押し切って白木《しらき》で作らせたテラスに出る。平服姿の護衛三名を従えた弟スイルがやってきて、テラスの手すりを跳び越えた。短い赤茶の髪がはねる。スイルはくろがねのテーブルの手前で、護衛たちは手すりの前でそれぞれ立ち止まった。

「藍染《あいぞ》めの着物に桜花《おうか》のかんざしですか。遠国《えんごく》の衣装もお似合いですね」

「なにか用事?」

「いえ。執務室へ行くのに庭を突っ切ろうと思ったら、姉上の姿が見えたもので」

「相変わらず目がいいな」

「はい。身体能力だけが取り柄ですから」

 何の邪心も感じさせない笑顔が、向けられる。この笑顔にほだされる臣は、ちょっと驚くくらい多い。わたしにはこんな笑みは浮かべられないが、

「そうか」

 せめて微笑みを作っておく。

「領国《りょうごく》の経略は順調か?」

「それはもう! ……っと。姉上の前で、申し訳ありません」

「気にするな。わたしの力が及ばないだけだ」

「姉上の領国がアルヴァラドなればこそでは」

「あの民には手を焼かされる」

「それだけ父上も、姉上に期待されているということですよ」

「どうだかな」

 わたしはまた微笑んで見せた。そこで、護衛が声を上げた。

「お話の途中で申し訳ありません、アザミ様、スイル様、きょうは予定が詰まっておりまして……」

「あ、そうでした! では姉上、お邪魔をいたしました」

 スイルは身をひるがえして手すりに手をかけ、飛び降りた。

「藍染めのお召し物、とてもお似合いなので、後で私からも何か届けさせますね!」

 わたしは作った微笑みをそのまま、手を振ってくるスイルに、小さく手を振ってこたえた。

 スイルに背を向ける。自分の陰にさえぎられ、藍染めの着物がガラスに映っている。今朝勝手にイレミナが用意したものだが、たしかに趣味はいい。こちらを睨む女の顔と目を合わせたあと、ガラス戸を押し開けた。父上は、スイルの能力に疑問を持っているが、嫌ってはいない。だからこそ、どのような愚物でも領主の務まる、肥沃《ひよく》で安定したミクサの地をお与えになったのだろう。

 アルヴァラドの掌握《しょうあく》を、急がなければならない。

「イレミナ! 明日、アルヴァラドに向けて出発する。すぐ支度を」

「承知いたしました」

 イレミナは、絨毯の中央に縫われた青白い太陽の文様を踏みつけながら、部屋を出ていった。

 

 アルヴァラドへ出発して間もなく、旧アルヴァラド国主ロジラドによる反乱が始まった。彼はどうやらわたしがアルヴァラドに向かったという情報をつかんでいたようで、幾度となく馬車列を襲撃しては散開、襲撃しては散開し、しつこくまとわりついてきた。彼の支配圏を迂回している間に、本当は半月のはずだった行程が、さらに二週間も延びてしまった。

 そしてアルヴァラド国府に着いたとたん、今度は父上が亡くなられたという知らせがやってきた。すぐに国元に戻ろうとしたがアルヴァラド国府を包囲したロジラド軍に阻まれ、今度は三か月もの間、足止めされた。所領を維持できる最低限の守備隊を配し、少数の供《とも》回りとともにようやく国府を脱出して首都に戻ってみると、父の葬儀はすでに、スイルによって執り行われていた。

「どういうことだ、これは」

 この国では、国王の葬儀は、後継者が執《と》り行う。だれでも知っている、常識だ。

 城門で出迎えに現れたスイルは、

「誤解です、姉上」

 と、泣き出しそうな顔で言った。

「誤解? どこに誤解の生《しょう》じる余地が? 葬儀を執り行うのは後継者の務めだ」

「違うのです。あのまま放置しては、父上のご遺体が、腐り始めてしまい、葬儀がままならなくなってしまうためで……姉上、どうか、どうか怒りをお鎮めください。私は玉座など望みません。姉上を精いっぱい支え、ミクサの地で生涯を終えられればそれ以上は望まないのです!」

 ここへの道のりで揺るがぬものになっていた、硬く根を張る疑心さえ、彼のあまりにも必死な様子に、溶かされそうになる。

 わたしは少しだけ、激情を抑えた。

「スイルはそうでも、周りはどうかな」

 かたや、ミクサの地をさらなる発展に導いた名君とのうわさが立ち始めた弟。

 かたや、ロジラドの反乱を誘発し、すぐに収めることもできず供回りとともに脱出してきた姉。

 いくらアルヴァラドが統治の難しい国とはいえ、わたしがかの地に出発する前から、弟を玉座に待望する声は大きなものがあった。この失態と父の死をきっかけに、一気にその声が高まるのは目に見えている。

「私が抑えます。姉上。信じてください」

 スイルが、護衛に向かって目で合図をする。護衛は手に持った白い包み紙を、スイルに手渡す。

 わたしは剣の柄に手を伸ばす。イレミナがそこへ割って入る。

 スイルは驚きに目をみはった後、

「想像されているようなことは、絶対に致しません」

 と、心底傷ついた顔で、つぶやいた。そして白い包み紙を取り去る。

「これは、先日言っていた藍染めの着物です。姉上の名前と同じ、アザミの花の柄を染め付けさせました」

 大事そうに抱えたそれを、スイルはイレミナへ手渡す。

「私はどのような処分だろうと受けます。それでは」

 そして護衛とともに背を向け、歩み去っていった。

 息を吐いたイレミナから、折りたたまれた藍染めの着物を受け取る。

 着物を広げてみると、とげにも見える、力強いアザミの花弁が染め抜かれていた。

「スイル様は、お優しすぎる……」

 イレミナが、つぶやく。

 同じ感慨を抱きながら、着物をイレミナに預け、王宮に向けて歩き出した。

 

 大きな鉄扉《てっぴ》を静かに押し、少しの隙間から玉座《ぎょくざ》の間をうかがう。父上がいない玉座の間では、一段低いところには臣たち、玉座の右隣りにはスイル派の筆頭である宰相《さいしょう》が立っている。

 そこで宰相は、演説をしていた。

 曰《いわ》く、スイル様は慈悲深い統治でこの国をさらに発展させる。

 曰く、アザミ様は武勇の誉れ高いが民の心がわからず統治には不向きであり、アルヴァラドの反乱が証左《しょうさ》。

 曰く、先王の遺言ではスイル様が後継に指名された。

 曰く、先の葬儀において領民は新たな王の誕生を喝采《かっさい》で迎えた。アザミ様には政治からご退場願おう。

 わたしはわざと大きな音を立てて、玉座の間の鉄扉を開いた。

 群臣が驚いて振り返り、宰相の演説が止まる。イレミナだけを従え、玉座へ歩み寄る。群臣は真ん中を開けて、道ができる。

「面白そうな話をしているな」

「お早いお帰りで……」

「早くなどない。ロジラドの妨害で三カ月も足止めを食ってしまった。貴様がけしかけたのだろう」

「何を馬鹿な。それよりも、お聞きになりましたと思われますが、先王はスイル様を後継に指名されました」

「わたしは生前から後継者に指名されていたはずだが」

「しかし、死の間際に言《げん》をひるがえされたのです。これは遺言でございますれば、従わなければいくらアザミ様とて……」

 わたしは、何も言わずに宰相へ近づいていき、四段ある階段の下で立ち止まった。王すら帯刀を禁じられた玉座の間では、この距離を保っていれば安全だ。

 けれど……。

 彼の後ろに飾られた槍に目をやった。

「魔法を使わせるな!」

 宰相が叫ぶより早く、壁から浮き上がった槍が、空中を走り、瞬く間に宰相の胸を貫く。

「槍を飾っておくとはうかつだったな。戯言《ざれごと》に耳を貸すつもりはない」

「きっ……貴様、貴様は……この国を負う器ではない」

「安心しろ。この国はわたしの代でさらに隆盛《りゅうせい》する」

「スイル様に、あって、貴様にないものが、人を治めるためには、もっとも……」

「死ね」

 槍を引き抜き、その勢いのまま床に放った。石と鉄がぶつかり合う嫌な音が、後ろから聞こえた。

 返り血と、倒れこんでくる宰相の体をよける。階段にしたたかに体を打ちつけた宰相が、ぴくりとも動かなくなった。

「馬鹿が」

 わたしは吐き捨てて玉座に座り、群臣を見下ろした。

「即位の準備を進めろ。死体もすぐに運び出せ」